1997年地元テレビ局(信越放送)制作のドラマ『清姫曼陀羅・人形遣いの見た夢』が芸術祭テレビ部門で賞をとり全国各地で放映された。これは私の舞台作品『清姫曼陀羅』を基に信州伊那谷の風景、私の実生活を交えた半ドキュメントの作品だった。これをたまたま遠く離れた鹿児島の地で見たのが“飯田みちか”だった。子供の時から市松人形と般若心経に興味があったという彼女の目に映ったのは、伊那谷の銀雪いただく山々を背景に舞う等身大人形と流れる般若心経・・・これが彼女の人生を一変させた。ごく普通のOLをしていた彼女にとって見たこともない魅惑的な世界だったのだ。その年の4月恒例なっていた信州千人塚での桜の下での野外公演をわざわざ鹿児島から見に来てくれたのだ。ついで5月の東京シアターxでの公演にも姿を見せそのまま「どんどろ」に居着いてしまった。

「どんどろ」はいわゆる通常言うところの人形劇団ではない。等身大人形と共に舞台にたち黒衣(人形遣い)としてではなく共演者として舞う独特な舞台表現をしている。子供向けのかわいらしい人形劇とは正反対にある人形のもつ美しさ、妖しさ耽美性を追求した世界である。伝統芸能ではない、私が創作したスタイルである。海外では「日本の伝統文化を継承した新しい表現」として高く評価されているのだが国内ではどちらかというとこわい、不気味という目で見られることが多い。人形は本当はこわいのだ。古代から霊魂の憑依する形代(呪物)として扱われ大切にされてきた。彼女を川倉の地蔵堂、恐山(津軽)に連れてきた、ここはまさしく市松人形と般若心経のメッカだ。彼女がひそかに求めていた彼岸(あの世)と此岸(この世)の間に立つ不可思議で美しく哀しい人形たちがそこにいたのだ・・・・・その後彼女は照明スタッフとして海外公演にも同行しチャンスがあれば自作の小品を発表しもちろん私と組んだ作品も数多く上演してきた。一貫した「どんどろスタイル」である。2004年独自の劇団として「yumehina」を立ち上げ女性としての自ら表現を模索しはじめる。処女作『笹法子』は能の古典から題材をとった母と子の心温まる哀しい物語だった。舞を表現主体にしている私の形態とは少し違ったドラマ性の高い母性にあふれていた。しかし人形そのものの魅力を表面に押し出した舞台表現はまさしく「どんどろ」ならではの妖美さを十分に兼ね備えたものだったと言えるだろう。形は継承されていくことは可能だ、しかし形だけの継承は「模倣」にすぎない。彼女は人形のもつ不可思議な魅力を自分の中に引き寄せ、あくまで「どんどろのスタイル」を貫きつつ「形」としての継承のみでなく女として接する「心」を探し続けることだろう。演者が違えば演技の色は変わる、それは当然のことだ。それでいいと思う、本物の継承者になってもらえることを願っている。

        2010年5月19日